プロデューサーなのにタレントよりも面白いと話題のナスdこと友寄隆英さん。
そんな彼の異色の経歴から、プロデューサー業にかける思いまで総まとめしてみました!
テレ朝ナスd(友寄隆英)学歴まとめ
大学を卒業したら俳優になりたいと考え、オーディションを受けていましたが…
「最終審査で真面目すぎることをやってしまい落ちてしまった、もっと奇をてらった面白いことをして目立ったほうがよかった。」と後悔していたそうです。
そして「自分は裏方をやりたい」と考え、プロデューサーの道を目指すようになりました。
プロデューサーなのに人気を集められているナスd。
ここではナスdの気になる学歴について見ていきたいと思います
高校は地元でなく岡山県の進学校
ナスdは兵庫県出身歯と言われていますが、高校に関しては岡山県の中高一貫校であったと言われています。
どこの高校かは分かりませんが寮にはいっていたそうです。
中学生の頃から寮に入っての生活となると家族との生活の時間はとても短いと感じますよね!
そのため実の姉と兄にも20年くらい会ってなかったそうです。
ナスdは早くに家を出ている為に、兄弟がいたのに一緒にいる時間がなかったんですね!現在は兄弟とはどのような関係になっているのかも気になります!(^^)!
高校時代から面白くて人気者
「まわりに言われなかったら『ナスD』が友寄くんとはわからなかったと思います。人前に出たがるタイプではなく、おとなしい生徒でしたね」
担任の先生からは「目立たない生徒」と言われていたようですが…
ナスdの高校時代は、友人たちの間では現在、テレビ番組で見せる面白さを高校の時から持っていたと言われています。
クラスメイトをよく観察して物まねをしてくれた、面白さを追求するタイプで、興味を持ったことに対してはじっくり考察して、面白く語ってくれた。
そのころから、プロデューサの素質があったようだ
確かにナスdは、テレビで面白いだけではなく、専門的な知識を先に集めているために豆知識として語っていますよね!
その他にもナスdは高校時代には独特な遊び出回りを楽しませていたようです。
カードマジックが得意で、同級生たちに「黒魔術が出来る」と話し、「集中力を集めるのでマジック中は私語禁止、それを破ると呪われる」という独自ルールがあったのです。
マジックの方はなかなかの腕前で、友寄隆英さんは本当に黒魔術ができると信じる友人たちもいたそうです。
ナスdの世界観は今でもすごいですよね!また、話し方も独特でナスdの話に引き込まれてしまうので、嘘のように感じないのかもしれないです。
獣医を目指して茨城大学に進学
ナスdは実は獣医を目指すために茨城県にある茨城大学農学部に進学していました。
茨城大学はその名の通り茨城県にある国立大学です。
2018年現時点でBenesseの大学情報調べたところによると、茨城大学の偏差値は47~57ということです。
更に農学部の偏差値を調べてみると、科によって異なり、52~57という偏差値のようです。
ナスdは国立大学に進学されていたんですね!幼い頃から頭が良かったんでしょうね!
そんな彼が獣医を目指したきっかけは、動物が好きだったことからで…
「動物が好きだったので子供のころいろいろな動物を飼っていた。川でアヒルの子供を捕まえて家に持って帰り飼っていたこともある」
なんて過去には語っていました。
学生時代はお金がなくて仕送りもなかったため、バイトばかりでの大学時代だったそうです。
大学のサークルに入ることもなかったとか。
大学サークルにも入れないほどアルバイト生活という大学時代で楽しかったのか?とも思えますね。
大学が和歌山だと勘違いされた?
ナスdの大学は茨城県であることが判明しているのですが、なぜかネット上では大学は和歌山県であるという噂も聞かれています。
出身大学を明らかにしていないとのことで、おそらく旧帝大や有名私立ではない気がします。
地元兵庫県の国立大学はレベル高いですからね~近くの和歌山の方の大学に言っていたという可能性も十分にあります。
通っていた大学名は現在でははっきりしていますが、まだ大学の情報がはっきりしないときには地元に近い和歌山の大学と思われていたように感じられますね。
ナスDが和歌山大学に通っている噂もありますが、これはナスDの出身が和歌山という誤った情報が広まったせいで噂されたようです。
ナスdの出身地は兵庫県なのですが、どういう情報の違いがあったのかわかりませんが、和歌山県と勘違いされていたようなんです!
学生時代の経験でディレクターに
ナスdは大学時代もいろいろなことを経験していたようです。
大学では劇団に所属しました。
そして大学を卒業したら俳優になりたいと考え、オーディションを受けていましたが、「最終審査で真面目すぎることをやってしまい落ちてしまった、もっと奇をてらった面白いことをして目立ったほうがよかった。」と後悔していたそうです。
そして「自分は裏方をやりたい」と考えるようになりました。
面白い印象があるためにナスdは芸人の道なども考えていなかったのか?と思えたので、俳優を目指していたなんてちょっと以外です。
また、ナスdは大学時代にはアルバイトも経験していました。
19才のときから制作会社でアシスタントディレクターのアルバイトをしていたのだそうです。
その時に仕事は日本テレビ「珍プレー好プレー」です。それが経験となり大学卒業後のフリーディレクターへと繋がっていきました。
大学の頃からアシスタントディレクターのアルバイトを選んでいることもすごいですが、それが今につながっているのだから、人生何が起こるかわからないですね(笑)
また、ナスdは大学時代には卒業旅行にも行っているのですが、普通の卒業旅行では行かないような場所だったんです。
大学の卒業旅行はインドでした。
「凄いところがある!」と連れて行かれた場所にビックリ!そこはなんと、検問があちこちに引かれるような所でした。
実はそこは内戦がいつあってもおかしくないような、内戦エリアだったのです。
しかしそんな旅行ではありましたが、一週間もたつと、友寄隆英さんは現地の人とも仲良くなり、冗談を言って笑い合っていたそうです。
普通の人なら震えあがるような状況であっても、物ともしない友寄隆英さんは大物の片鱗を持ちあわせていたようです。
現在のテレビ番組を見ているようです(笑)
ナスdは警戒心の塊ではないために、その場その場で現地の人に合わせた環境を自分で作り上げることができるんですね!
なかなか普通はできなことなので、すごい長所であるとも思えます。
ナスdは頭も良くて、発想も豊かでチャレンジ精神に優れていることで現在のプロデューサーという役職になることができているんでしょうね。
ナスd(友寄隆英)の経歴が破天荒
自分の中で絶対に忘れないでおこうと思っているのはADをやっていた長い間。
殴られたり、本当に当時は凄く辛かった…鼻血出したり色々あってん。AD何年間かやってその後ディレクターやって、フリーだから当然、日テレとかでクビになったり怒られたり。
だって俺、8年ぐらい1日も休んでないもん
人気プロデューサーともいわれているナスdですが、過去には辛い経験もされているようです。
現在では独特な面白さも兼ね備えていることから注目されていますが、そんなナスdの経歴を見ていきたいと思います。
注目される逸材で異例の大抜擢
ナスdこと友寄隆英さんについてまずはいろいろと見ていきたいと思います。
友寄隆英(ともよりたかひで)
兵庫県出身
生年月日 1975年4月頃
2003年テレビ朝日入社
テレビ朝日総合編成局 ゼネラルマネージャー
肩書 ゼネラルプロデューサー(総合演出)演出家 脚本家
高校 岡山県の中高一貫で進学校
大学 茨城県の茨城大学農学部
肩書などを見るとすごい偉い人であるという印象がありますよね!
見た目とのギャップを感じられますが、ナスdの進路は大学で突然変わったようです。
19歳のときにアシスタントディレクターのアルバイトを経験しました。
一旦は俳優を目指しオーディションを受けるも落ちてしまい、テレビ番組などの「裏方でやっていきたい」と考えるようになりました。
卒業後はフリーディレクターとして働くようになったのでした。
フリーディレクターとしての経験を積んでいった友寄隆英さんは、2003年にテレビ朝日に入社しました。
奥川晃弘ゼネラルプロデューサーの下でプロデュース・及び演出等をにない、仕事の幅を広げて力をつけていったのでした。
ナスdはフットワークが軽そうなので、仕事に対して熱意を感じられるような動きをされていたと思えますね!
アルバイト時代は日本テレビの「珍プレー好プレー」などの番組制作の現場でADとして裏方の経験を積みます。
珍プレー好プレーはよく見ていた番組です。あの番組の裏方にナスdが実はいたんですね!
2010年、ゼネラルプロデューサーに昇格しました。
友寄隆英さんは「努力を続けることには自信がある。テレビディレクターって、他人の気持ちが分かる人でないと作れない。頭悪いけど努力を続ける人は良いと思う。人の気持ちをちゃんと考えられる人は良い番組を作れる。」と話しました。
その後、ナスdは順調に役職を上げていくんですよね!
一度決めたことは最後まで実行するという姿勢がナスdにはありそうですもんね。
実はこの役職に就くのは簡単なことではないようなんです!
友寄隆英さんはゼネラルプロデューサーという役職に30代で抜擢されます。
こんなに若くてゼネラルプロデューサーに就くのは異例のことだそうです。
ナスdは異例なことを成し遂げるほどの才能を持った方だったんですね!
偉くなったナスdですが、自分で企画したものは自分でシュミレーションするということを続けていたことで、最後には役職という枠から抜け出して、テレビ番組にも出演されるようになっています。
ナスdが出演するようになった番組でよく知られているのは「よゐこの無人島0円生活」になります。
いきなり黄金伝説で無人島企画が始まったころから、プロデュサーとして演出とプロデュースを行っています。
毎回よゐこの濱口さんと有野さんが実際に行う前に必ず自分で素潜りなどを行って番組制作を行っていったため、サバイバルの知識などはよゐこの二人以上に持っているとか。
無人島企画は無謀とも思えますが、実はナスdが先に自身で体験していたことは後によゐこの二人がテレビ番組で伝えられていましたね。
さらにナスdは「陸海空 地球征服するなんて」にも出演されています。
「陸海空 こんな時間に地球征服するなんて」という番組で、タレントを超えるような、体当たりでチャレンジする、面白くもハチャメチャな番組でした。
そしてとうとうゼネラルプロデューサー友寄隆英さんは、あの「無人島0円生活」に出演することになったのでした!
どちらの番組も見ましたが、ナスdの方がメインにしてほしいと思えるほど面白いです。
けれども、やっぱり芸人さんやタレントさんの方がテレビの枠の時間が長いんですよね!
ナスdの愛称は野菜のナスから
ナスdという愛称で親しまれている友寄隆英さんですが、名前をみるとどこからきた愛称なのかわかりません。
「陸海空 こんな時間に地球征服するなんて」というテレビ番組内で、シピポ族の村の、ある女性からウィトの果実を貰い、その果実が美容に良いと聞かされた友寄隆英さん。
それは「肌によく、美白効果がある」と思い込んでしまい、顔や手足に塗りたくってしまったのでした。
数時間後、友寄隆英さんの肌は青黒く変色してしまったのでした。
そのウィトの果実は現地では髪を染めたり、入れ墨に使ったりするような果実で、一度塗ったら落とすことが無理と言われる物だったのでした。
それが「ナス」に似た色だったのです。
美白効果があると言われたら塗ってみたくなりますが、取れない顔料だったことは衝撃的でした。さらにその後のナスのような色になった顔もかなり衝撃的でしたね。
けれども、その後、ナスdはまた番組の中で他の部族の女性が顔の色を落とす方法を教えてくれて試したことで普通の顔の色に戻っています。
妻は美人と有名な料理研究家
ナスdは破天荒と言われていることで結婚など無縁と思えましたが、実は結婚しているんです!
さらに、その相手とは、美人料理研究家としてテレビにも出演されている、森崎友紀さんだと言われています。
森崎友紀さんは、コスプレ好きでグラビアモデルもされていたことがあるそうです。
1979年12月29日生まれの現在38歳ですが、とても若々しく見えます。管理栄養士の資格も持っておられる。
グラビアアイドルもされていたからスタイルがいいんですね!また、美人であるためにテレビでの活躍も現在でも多いですよね。
実は、ナスdと森崎友紀さんの間には子供もいるようで…
ナスdがどんな子育てをしていてどんな結婚生活を送っているのかということが、気になってしまいますね(笑)
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